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家事代行利用例~番外編、終了したお客様

お疲れ様です。

3回にわたって名古屋市を中心に家事代行のご利用例を紹介してきましたが、すべて現在のお客様のものでした。

少し視点を変えて、過去の、つまり終了したお客様でのご利用例をご紹介します。

アシストのお客様は比較的長くご利用されていらっしゃると思っています。

創業して14年、創業時からのお客様もいらっしゃいますし、10年以上継続されていらっしゃるお客様も珍しくありません。

しかしいつか必ず終わりは来ます。

終了の原因は様々です。

それこそ、後期高齢者のお客様で、お亡くなりになられたケースもあります。

あとは、お引っ越し(県外とか)、お子様が大きくなり余裕が出た、共働きだったけど奥様がお仕事をお辞めになった、様々です。

それこそ、コロナなどでの経済的余裕に関連することもあったかもしれません。

因みに、お引越しの場合は、落ち着いたら再開されたお客様も珍しくありませんでした。

県外の場合、特にサービスを行っていなかった地域で「アシストさんがいい」と言う理由でご要望があったこともあり、その時は当然ですが時間的余裕を頂き、新規募集をかけました。

さて、前置きはこの位にしてご紹介していきます。

どうしても思い出深い、ある意味特殊な例や、大きなお客様中心になるかもしれません。

・名古屋市千種区の家事代行ご利用例
某アミューズメント会社社長様宅での家事代行でした。

お料理の方は別に家政婦さんがいらっしゃるとの事で、お掃除が中心でした。

お宅は広いことは広いのですが、千種区の中心部と言う事もありさすがに「広大」とまではいきません。

しかし、歴史のある由緒あるお宅でした。

内容的にそれほど厳しいとか、奥様のご要望が細かいとかはなかったのですが、なぜか中々スタッフが定着せず、募集に苦労した記憶があります。

新しいスタッフが決まると必ず引率して奥様との顔合わせがありましたので、かなり足を運んだ記憶もあります。

おそらく、私がお会いした回数はこのお客様というか奥様が一番多かったのではないでしょうか。

それでも何年か続きました。

奥様と、会社の専務さんのご意向で「よその家事代行会社には浮気しない」と言う事もいい方向に作用したのだと思います。

しかし最後の最後はなかなかスタッフを用意せず、その空白期間が長かったので断念した、という苦い記憶です。

・名古屋市昭和区の家事代行利用例
こちらも社長様宅の家事代行です。

先ほどのお客様はアミューズメント、このお客様は自動車の部品会社と言う事もあり一般的な知名度では劣るのかもしれませんが、会社の規模や歴史では決して劣らず、堂々としたものでした。

この会社は総務部長様が窓口となって私と打ち合わせを進めました。

総務部長という立場から、週当たりの日数1回あたりの時間が多い案件で、そうなるとなかなか人材が確保できない、とよくご理解されていました。

それでも、「複数の家事代行会社に並行して動いてもらうと、求人募集が競合して良くない。なので、待つから、アシストさん1本でお願いする。そのかわり、時間がかかっても、よい人を用意してほしい」

というありがたいお話でした。

少しお待ちいただいた記憶がありますが、それでも良い人材が確保でき、家事代行サービスがスタートしました。

しかし慣れてきたころにそのスタッフが関東に引っ越し(ご主人の転勤)になってしまい、再度募集する羽目に。

それでも比較的応募状況が良くスムーズに交代できたのですが、スタッフが家庭の都合で退職することになり、そのあとは募集がうまくいかなかったと言う事に加え、会長様が95歳のご高齢で施設に・・・

と言う事も重なり終了となりました。

それでも何年かはお役に立てました。

・茨城県の家事代行利用例
もっとも思い入れの深いお客様です。

何せ、私が大学卒業後に入社した会社の、最後の上司に紹介してもらった案件ですから。

その会社には20年在籍していました。

営業職で入社したので、四国、東京、静岡、神奈川、名古屋と転勤が続きました。

その最後の上司は総務課長、私の入社当時も総務在籍でしたから新入社員のお世話等あり、入社当時から知っていたのです。

その上司も途中、営業職に配置替えされたりしましたが最終的には総務職です。

で、私はというと思うところあり「法務」の仕事を希望し、社内募集で総務、本社勤務となったのです。

あ、この辺はどうでもいいですね。

とにかくお世話になった元上司、私が退職というか転職を相談するとかなり長い時間引き留められたものでした。

それでも意志は固かったので退職したわけですが、そういう経緯もあり円満退職、その元上司とは転職後も何度か飲みにいったものです。

そして私は菱川さんとともにアシストを始めたわけですが最初から順風満帆というわけではなく、相談すると、

「仲谷君も知ってるだろうけど○○工場と○○工場、個々の社員寮でまかないさんが必要なんだ。それをやってみるか?」

と言う事になり、私は二つ返事で「やらせてください」となったのです。

結果としては、片方の工場はそもそも社員寮自体の計画が消えたため、もう片方だけになりました。

この時も準備期間はたっぷりありました。

募集をかけると確か10名ほど応募が来ましたね。

必要なのは2名でした。

平日毎日、1回5時間で食材買い物、まかない(お料理)、掃除、洗濯でした。

1名でも無理ではないのでしょうが、病気になった時の事や、スタッフも個人的に年間を通じると予定が入ることもあるでしょうから、2名交代制を提案したのです。

実際、面接をすると皆、「2名交代制だと安心です」と言われました。

かなりスタッフを厳選して、採用できなかった人たちは申し訳なかったのですが良いスタッフを2名準備できました。

募集・選考・面接・採用・研修という一連の流れで一番スムーズに行き、良い人選が出来た採用活動でしたね。

そのおかげか、契約期間は当初「最低3年、それ以降は会社の状況による」との事でしたがなんと7年も続きました。

終了した理由は、社宅として自宅を提供していた工場長が赴任から戻ってくることが決定したため、社宅(つまり1戸建ての普通の家です)を明け渡さなければならなくなった、という単純な理由です。

担当スタッフは時間的余裕をもって準備できた関係もあり7年間、問題もなく、クレームなどもなく継続し、ほとんど手のかからないお客様でした。

7年間となるとその会社の社宅担当者も3人変わり、しかし私も総務でしたから皆知っている人、最後の総務課長は特に親しい人でしたから契約終了の時はかえって気を使わせて申し訳なかった記憶があります。

おっと、さすがに思い入れの深いお客様ばかり、前振りが長いと言う事もありましたがすでに2700文字です。

毎日ブログを再開して最長記録です。

ということで、今日はこんなところで。

当分これでブログネタは持ちそうです。

またここでお会いしましょう。

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